「MW(ムウ)」映画化の受難
2009年05月28日 18:58
漫画原作の映画化など昨今いくらでも出てきているが、何と手塚治虫作品でも結構な問題作とされる「MW(ムウ)」が7月に公開される。
これは私が17~8年まえに購入した単行本で、本棚の奥から引っ張り出して読み直してみた。
漫画やアニメに趣向が働いていると、一度は手塚治虫ブームがやってくるものだ。私も二十歳前後にやたらめったら読み漁った覚えがある。だが私の悪い癖で、一時のマイブーム中に集中してハマってしまうため個々の思い出が作られない。「MW(ムウ)」も読んではいたが内容は殆ど覚えておらず、今回読み直したのは自分にとってもいい機会だった。
※ここからは漫画の感想と映画化についての事をネタばれ的に書きます。もしこれから漫画を読もうと思っている人や、映画を観るまで何の情報も仕入れたくない人は気を付けて下さい。
まず原作のまんま映像化は無理だろう。今現在に置き換えても通用してしまうであろう政治や人権にかなり突っ込んだ内容になっているからだ。その中では得体の知れない兵器にまつわる政治的且つ軍事や諸外国が絡む利権や癒着など、政治の裏を見せる事は今まで何度も表現されてはいた。
だが「MW(ムウ)」は人権的にデリケートな部分を表面化しているため、その表現が難しくなる。
「MW(ムウ)」は70年代中盤から後半にかけて発表された作品(単行本の初版が1978年なので逆算して)だ。おりしもつい先日公開されたショーン・ペン主演の「ミルク」と時代が被る。
70年代に活躍したハーヴェイ・ミルクは、同性愛者として初めて公職に付いた政治家だ。当時世間的弾圧に苦しんでいた同性愛者(を含む社会的弱者)の利権を確保するために戦ってきたが、残念ながら凶弾に倒れてしまう。
手塚治虫が当時のアメリカの情勢を見ていて、この作品の人物構造に影響されたのは想像に難しくない。そう、この作品では同性愛の描写が非常に重要な役割を担っている。特に主人公の一人結城美知夫の、複雑な人格形成を司る愛情表現には欠かせないファクターになる。
もちろんもうひとりの主人公賀来にも同性愛描写は重要な意味を持つ。神に仕える身でありながらその魅力に翻弄されタブーを犯し続けてしまうのだ。それほどに結城は何とも言い表せない魅力の詰まった人物として描かれる。”魔性”の魅力として。
結城は普通の人格を超越した”悪鬼”だ。彼の起こす行動は何もかもが人間の常識を打ち破る。そんな混沌とした時代だからこそ生まれた非人間性だが、その当時結城を受け入れられるほど世の中の価値観は広くなかったのだろう、だからこそ今になって映像化に踏み切ったのだ。
それに「MW(ムウ)」は他の手塚作品同様、時代を超え語り継がれるべき作品だ。その先見的作品の本質は、執筆当時ではなく今だからこそ語られるべき物語とも云える。だがやはり映画化には不安が付きまとう。特に人物描写だ。
別に原作通りにしろだとか、原作を超えろなどとは云わない。だが最低限原作の意図を汲み取った物語であって欲しいと願うばかりだ。・・・それが最も難しいんだけどね。
これは私が17~8年まえに購入した単行本で、本棚の奥から引っ張り出して読み直してみた。
漫画やアニメに趣向が働いていると、一度は手塚治虫ブームがやってくるものだ。私も二十歳前後にやたらめったら読み漁った覚えがある。だが私の悪い癖で、一時のマイブーム中に集中してハマってしまうため個々の思い出が作られない。「MW(ムウ)」も読んではいたが内容は殆ど覚えておらず、今回読み直したのは自分にとってもいい機会だった。
※ここからは漫画の感想と映画化についての事をネタばれ的に書きます。もしこれから漫画を読もうと思っている人や、映画を観るまで何の情報も仕入れたくない人は気を付けて下さい。
まず原作のまんま映像化は無理だろう。今現在に置き換えても通用してしまうであろう政治や人権にかなり突っ込んだ内容になっているからだ。その中では得体の知れない兵器にまつわる政治的且つ軍事や諸外国が絡む利権や癒着など、政治の裏を見せる事は今まで何度も表現されてはいた。
だが「MW(ムウ)」は人権的にデリケートな部分を表面化しているため、その表現が難しくなる。
「MW(ムウ)」は70年代中盤から後半にかけて発表された作品(単行本の初版が1978年なので逆算して)だ。おりしもつい先日公開されたショーン・ペン主演の「ミルク」と時代が被る。
70年代に活躍したハーヴェイ・ミルクは、同性愛者として初めて公職に付いた政治家だ。当時世間的弾圧に苦しんでいた同性愛者(を含む社会的弱者)の利権を確保するために戦ってきたが、残念ながら凶弾に倒れてしまう。
手塚治虫が当時のアメリカの情勢を見ていて、この作品の人物構造に影響されたのは想像に難しくない。そう、この作品では同性愛の描写が非常に重要な役割を担っている。特に主人公の一人結城美知夫の、複雑な人格形成を司る愛情表現には欠かせないファクターになる。
もちろんもうひとりの主人公賀来にも同性愛描写は重要な意味を持つ。神に仕える身でありながらその魅力に翻弄されタブーを犯し続けてしまうのだ。それほどに結城は何とも言い表せない魅力の詰まった人物として描かれる。”魔性”の魅力として。
結城は普通の人格を超越した”悪鬼”だ。彼の起こす行動は何もかもが人間の常識を打ち破る。そんな混沌とした時代だからこそ生まれた非人間性だが、その当時結城を受け入れられるほど世の中の価値観は広くなかったのだろう、だからこそ今になって映像化に踏み切ったのだ。
それに「MW(ムウ)」は他の手塚作品同様、時代を超え語り継がれるべき作品だ。その先見的作品の本質は、執筆当時ではなく今だからこそ語られるべき物語とも云える。だがやはり映画化には不安が付きまとう。特に人物描写だ。
別に原作通りにしろだとか、原作を超えろなどとは云わない。だが最低限原作の意図を汲み取った物語であって欲しいと願うばかりだ。・・・それが最も難しいんだけどね。
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